ある話❶

一浪の末結局成績は上がらずど田舎の国立大学に滑り込んだ。数年後、採点ミスが発覚したので結局俺は不合格だったのかもしれない。別にやりたいこともなく運良くミュージシャンにでもなれたらそれで良いなどど意味のない妄想を抱えた19歳だった。山の麓の廃墟のような学生寮に親子で見学に行ったのを覚えている。いや、入学式の後に見にきたのだったか?忘れた。入寮の際に一緒に入ってきたのだった気がする。入学式には歓迎会の二日酔いがひどくて出られなかった。結局卒業式にも出られなかったのだけれども。夕方テレビを見ていたら地元のテレビ局が入学式の風景を写していて、それに我が子を探す両親が写っていた。当時は笑い話だが、今となってはとても切なく申し訳ない話だ。両親には謝りたい。すまない。

その後思い行きり学生寮の左翼系メンバーに洗脳され、一年休学した後に心身ともに疲れきり逃げ出すように、というか実際逃げ出したのだが、隣町に進学した(2年目はこの世の中で最も田舎か?と思われる場所へ移動する)。その日から不眠症になり、もう25年も経つ。今でもまだ薬なしにはまともに眠れない体になってしまった。当時は実家に帰っている間は不思議と眠れたのだが、その後護身と自己破壊のために始めた空手がいやになって、人間関係にも疲れノイローゼになって実家に逃げ帰ってからはずっと眠れない日々が続いている。たまにあの学生寮に忘れ物を取り戻しに帰る夢を見る。きっとその夢の内容が不眠症の原因なのだろう。アーメン。ファック。

全てを捨て去ったあの日の夜、アメリカの高層ビルにちょうど飛行機が突っ込んでいたのを秋田の友達の家で見たのはものすごい偶然だ。ファイトクラブまんまじゃないか。

あれから22年も経っちまった。夜は眠れないがなんとか生きてる。ただ大きな忘れ物をあの廃墟に探しに行く夢は、数ヶ月に一回見る。そんな感じだ。