吉村 昭 『空白の戦記を読む』

吉村昭の作品をポツリポツリと読んでいる。図書館に結構な数の本があるので読みやすそうな薄めの本を選んで読んでいる。そうすると大体先の大戦の悲惨な話が多くなる。読むと暗い気持ちになるがなぜか引き寄せられてしまう。やめれば良いのにと毎回思うのだが、歴史を学ぶ一環として読んでしまう。そしてどれもまた面白い、映像化してほしい作品ばかりだ。

 

今回は戦記ものと分かってはいたが、短編集がいくつか入った薄めの本だったので数日で読み切ることができた。戦艦が嵐に巻き込まれて大破する話が2つと、沖縄戦での少年兵の話と女性の切り込み隊、終戦後の特攻、その他、小説「戦艦武蔵」に出てきた極秘設計図の紛失について、その後の話が出ている。どれも短いが、一つ一つが映画化してほしいほどドラマチックである。少年兵の最後は驚きの描写だった。近代史を学ぶ中で学んだ、貧富の差を基にした理想と現実が交錯する当時の異常な世界情勢の中突き進む戦争という最悪の暴力の中、このような話は無限ともいいほどあったのだろう。多くの犠牲の中、我々は生きていることを忘れてはいけないとありきたりで当たり前のことを思う。

他国に攻め入った場合に戦争犯罪と言われる行為を回避できた国はあったのだろうか。ことにたいゲリラ戦においては現代でも難しいと思う。

人間の習性の面から社会全体の流れを考察したり、先の大戦を例えばどのようにして回避できたかを研究している人がいるのであればそれらの本を読んでみたい(色々あるけど陰謀論に繋がるのが多くて残念)。

 

 

この県には色々と戦時中の遺構が公園の地下にあったりするのを引っ越してきたから知った(どこにもそれなりにはあるが)。会社の体育会系気質を旧日本軍に例えたり、戦時中の遺構の話をしていたら、もしかしてそっち系の話に詳しいのですか?と若い事務員に言われてしまった。近代史を知らなすぎて勉強しているとは恥ずかしくて言えず、偶然ですよみたいな話でお茶を濁す。100年近く前の戦争の話なんて今の若者には、というか我々の世代でも興味は無いのだろう。年上と話をする機会が多々あったので、戦争の本を色々と読んでいるが日常会話に出すのは慎重になった方が良いかも知れない。